ミャンマー激動の時代の目撃者
ミャンマーで旅行業に携わる中村英司さんのインタビューです。
前回の記事はこちら。
いろいろあって在住歴23年
その前は、同じ会社でインドネシアのバリ島の駐在をしていました。
今から23年前の1995年が、来年からミャンマー観光年をやりますよという年で。
そこで、ミャンマーがビジネスチャンスということで、会社に言われてこちらに来ました。
もう23年になりますね。
だとしても、23年は長いですね(笑)
会社命令で他の国にいくということはあったんですか?
ただ、1997~8年のアジア通貨危機*で、全体的にビジネスが停滞したんですよ。
企業進出としての東南アジアの魅力が停滞して、人事異動が冷え込み、なので異動というのがありませんでした。
ただ、せっかく拠点としてオープンしたものを閉めるほどではなかった。
だからと言って、新しい人材を投入することも出来ない。
それで結局、十数年間いましたね。
その時に、アジアが順調であれば、例えばスリランカやブータン、ネパールなど他の国に行く可能性もあったかもしれないですね。
アジア通貨危機とは
1997年7月のタイ通貨バーツの暴落を皮切りに,フィリピン,インドネシア,大韓民国 (韓国) などアジア各国をまたたく間に襲った一連の通貨・経済危機をいう。これらアジアのエマージング・マーケット (新興国市場) は 1980年代から急成長を遂げていたものの,先進国からの直接投資と輸出産業に過度に依存していたため,経済構造は脆弱だった。 1995年以降は円安の一方,これら新興国通貨への過大評価もあって,各国の輸出競争力は大幅に低下し,国外への資本逃避が急速に進んだ。これが通貨や株式市場の暴落につながり,景気は急激に落ち込んだ。
(参照元:コトバンク)
経済が盛り上がってきたのはいつ頃ですか?
政治経済の政治の部分がまずクリアになって、アメリカから当時のヒラリー・クリントン国務長官がミャンマーに来ました。
そこから、ミャンマー経済が上向きになってきましたね。
そうなると、ミャンマー経済のことを知っている人間が必要なんですよ。
それでまた、自分が続けています(笑)
23年間で何が一番変わりましたか?
会社の車を使うのですが、当時は、信号待ちで車で5台あったら今日は混んでるなという印象でした。
今は全然違うでしょ。
昔は毎日デモがあった・・という時期もありました。
そのころは、夜間外出も禁止。
20時までに家帰らないといけないときがありました。
2007年には、日本人ジャーナリストの方が、デモ中に銃で撃たれて亡くなったこともありましたね。
(※長井健司さん 愛媛県今治市出身)
当時は、ほぼ一年仕事がなかったです。
長井健司さん
愛媛県今治市出身の映像ジャーナリストである。APF通信社所属。
2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され殉職したと報道されている。
(参照元:Wikipedia)
旅行業の視点から見るミャンマー
(岡全体が仏教の聖地の「マンダレーヒル」)
今、ミャンマーを訪れる人はどれくらいなんですか?
2007年に比べると人は断然増えましたね。
1番少ないときで来訪者数は年間2万人を割ってたんですよ。
今、年間の日本人渡航者数が9万8000人くらいで、もうすぐ10万人に到達します。
在ヤンゴンの日本人居住者は5000人くらいですね。
ただ、ミャンマーに居を構えているけれども、実際にヤンゴンに住んでいるのは1週間や10日の方も含めててです。
私は、1年のうち、ミャンマー国外に出るのは1週間程度ですね(笑)
ミャンマーのサッカーをJリーグに!
あとは、サッカーです。
ミャンマーでは、23年のうち21年くらいサッカーやってるんですよ。
今は、在ヤンゴンの日本人のサッカーチームの総監督で、日本人会に所属してる子供さんにもサッカーを教えています。
Jスターズというチームなんですが、チームとしては、2030年までにミャンマーナショナルリーグというプロリーグに日本人チームとして参戦すること。
そしてその先は2050年までにJリーグ参戦です!
総監督としては、次世代に残せる組織を作るのが目標ですね。
ミャンマー人女性との国際結婚
ご結婚もミャンマーの方とされたんですよね。
何かエピソードなどはありますか?
長女は18歳。
今日本で女子高生をしていて、下は14歳でミャンマーにいます。
奥さんがミャンマー人なので、初めは英語で会話していましたが、彼女が日本語を勉強したので、今家庭では日本語が主流ですね。
ただ、奥さんと子供はミャンマー語で話しています(笑)
死ぬまでミャンマーだと思います。
愛媛に帰るのは、3年か4年に1回、免許証の更新くらいかな…(笑)
ミャンマーと愛媛の結びつきはあるんでしょうか?
ただ、それくらいですかね。
実は、日本とミャンマーというラインでさえ、そんなに太くありません。
長い歴史はあるけれども、これからもっと頻繁な交流と、強い流れが必要だと思っていますね。
ミャンマー人の気質は、日本人と似ているんですよ。
ただ裏表があって、本音を言わない。
そこは、要注意ですね。
悪いところは、停電が多いところです。
通信インフラも含めて、電力が安定してないんですよね。
安定するのは2080年くらいかも…(笑)
どこに居ても自分は自分でしかない
愛媛からするとあまり馴染みがないと思うのですが、旅行業のプロが教えるミャンマーのおすすめスポットを教えてください。
ただ、個人旅行にはあまり優しくはない国だと思います。
ツーリズムの面でいうと、ミャンマーは、南アジア経済圏ブータン、ネパール、インド、スリランカの特色を持っているんですよ。
何がかというと、今でもビザが必要で、現地費用が高く、国内線の移動が大変。
ただ、見どころは満載で、満足度も高いです。
弊社も、パッケージツアーの日程がフィックスしたものが主力ですね。
(中村さんおすすめの「バガン遺跡」)
では、最後にこの記事をみる若者に一言をお願いします。
愛媛はとても良いところなので、愛媛県で頑張って下さい!
あの、ヒメセカ的に…(笑)
自分の居場所はここじゃないような気がして、色んなとこに行きました。
でも、どこへ行っても結局同じだったんです。
愛媛でもバリ島でもヤンゴンでも、変わった人は変わった人だし、場所が違うからって何が変わるわけではありません。
だから、無理して県外に出る必要はないと思います。
愛媛県でだって、楽しいことや素晴らしい人はたくさんいるし、人生を楽しむことは出来ると思う。
ただ、行ったら行ったで色々なことが見えてきますし、外に出たからこそこんなことが言えるのかもしれません。
どこでだって、チャレンジはできます。
頑張ってください!
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気軽に愛媛県人と交流ができるスペースをご用意しています。
”もっとこの話が聞いてみたい”という時にもぜひご活用ください。
その後、松山から海外に行かれたんですよね。
何がきっかけだったんでしょうか?