知ることから全ては始まる
細川 エリナさん(26歳)※取材時の年齢
- タイ・バンコク出身
- 宇和島市九島出身の父とタイ人の母のハーフ
- タイで22年間過ごしたあと、宇和島CATVで3年間勤務
- 現在はミャンマーで日本の広告代理店に勤務
こちらもヒメセカ新メンバー、ミャンマーで活躍中の細川エリナさん。
ヒメセカメンバーの山本くんとは、なんとタイの日本人学校で同級生だったそうです!
タイ生まれ、タイ育ちの26歳です。
父が宇和島出身なのですが、何年か前に機会があって宇和島で働くことになり、3年間宇和島で過ごしました。
その後、ミャンマーに移り、広告代理店で働いております。
グローバルに活躍されている細川さんに来ていただきました!
今回インタビューを受けていただいていますが、
そもそもヒメセカのことはどういう経緯で知ったのですか?
愛媛県人会を開催したとき、当時カンボジアにいた入江さん(ヒメセカ理事)が遊びに来てくれたのがきっかけです!
そこで愛媛について、ヒメセカについて色んな話をされたのでしょうね。
入江さんはその愛媛県人会のために、カンボジアから1泊2日でミャンマーに来られていました。その夜はホテルで一緒に夜中まで語りあっていたにも関わらず、入江さんは翌朝5時から観光に行かれていたみたいです。昼食を取ったその後すぐにカンボジアへ帰っていきました。
稲妻のような人でした。笑
タイ生活で抱き始めたモヤモヤ
タイ生まれタイ育ちということですが、長らくの間タイにいらっしゃったのですか?
その色んな国の中のタイで母と結婚し、私もタイで生まれ育ちました。
大学もタイで進学し、卒業してから日本に行きました。
お父さんが宇和島の方ですが、日本にはよく来られていたのですか?
なので、愛媛に対して詳しいことはあまり知りませんでした。
私はタイで生まれ育ったので、日本で生まれ育った方から見れば珍しいとは思いますが、私にとって“タイは地元”だと感じています。
大学卒業を間近に控えた時、「このままタイで就職したら日本で暮らすことはなくなるのでは?」という思いが頭によぎりました。そして、日本以外にも世界には色んな国、色んな場所があるので「タイという選択肢は今でなくてもいい」と思うようになりました。
そしてその行き先で「今、東京を選んだりしたらこの先『愛媛』を知る機会も間違いなく減ってしまうんだろうな」ということも考えました。
父が宇和島出身なのに、愛媛のことや宇和島のことをあまり知らないことに寂しさを感じていました。
そこで、大好きな親のルーツに触れてみたいなと思うようになりました。
同じ「日本」でも、父が生まれ育った場所を知れるのと知れないのとでは大きく違うなと思うようになりました。
しかし、「今までとは全く違う環境に行けば、知らなかったことを知れる。知らなかった自分にも出会える。」と自分に言い聞かせ、宇和島行きを決意しました。
期間も、当初は2年と心に決めて向かいました。
宇和島へ行くきっかけと、宇和島での日々
日本には色んな場所がありますが、宇和島に決めた強い理由があったのですか?
東京には叔母が住んでいるということと、日本の友達がたくさんいるという理由から。
ですが、そんなときに祖母が亡くなり、宇和島には祖父一人になってしまいました。
そこで父がふと「じいちゃんのところに行ってみるか?」と言ったのを今でもよく覚えています。
変な話ですが、今宇和島に行かないと、もう一生行く機会はないと思い、首を縦に振りました。
祖母が亡くなったことで更に「もっと宇和島に行ってればよかったなあ」という思いが強くなったので、同じ後悔はしたくないなと。
色んな出来事や想いが重なって、宇和島に来ることになったのですね。
宇和島ではどんな仕事をしていたのですか?
メインはラジオだったのですが、忙しい時期はカメラマンをやったり取材に行って原稿を書いたり、本当に色んな経験をさせていただきました。
タイから日本にやってきて、驚いたことや困ったことはありましたか?
タイから来たということから「日本のことをよく知らない人」という認識だったのでしょう。
宇和島の独特の歴史や文化、風習などを知った際に「面白いなー」と感心したのですが、それが「宇和島」ではなく「日本」という一括りにされていました。なんというか「宇和島」のことで驚いたのに、私が「日本」に驚いたのだと勘違いされたり。これって同じことのようで、全くニュアンスは違いますからね。
そこで私は「知らないこと」の「勿体なさ」を身をもって体験しました。今知らないことは勉強して、知らないことを減らしていこうと行動に移しました。
とりあえずその時は日本にいたということと、宇和島は興味深い歴史がある場所だったので、それを理解するためにも歴史を最初から勉強し直そうと思い、小学校の歴史の教科書を読み直すことから始めました(笑)
色んな感情があったのですが、それをどこにぶつけていいのかもわからず、ただただ悔しかったです。
宇和島から、未来を期待してミャンマーへ
宇和島では結局2年間過ごしたのですか?
まだ宇和島や愛媛、日本のことをちゃんと知れてないなと思ったのと、居心地がよすぎたのが大きな理由ですね!
そして「次はどこにしようか」と考えたとき、最初は父が若いころに仕事で行ったスリランカが出てきました。
ですがその後、ひょんなところから「ミャンマー」という選択肢がでてきました。
「知らない」から行きたいと思わなかったのです。
「知らないこと」をなるべく減らそうとしていた私にとっては、すぐ調べる対象となりました。
どんなことがわかりましたか?
日本の歴史に置き換えたら「明治維新」だとか「文明開化」に当たるのがちょうど今頃のミャンマーだということ。
・・・そんな、「歴史の教科書でしか知り得ることができなかった物事を実際に体験できるチャンス」なんて果たしてこの先何回あるのだろうか?
あの時代と似たような空気に触れられるのかも知れないと思うとワクワクしてきたんです。
ミャンマー行きを反対されたりしなかったのですか?
父はその昔、「両親(細川さんの祖父母)の反対を振り切って、ずっと自分が行きたかったスリランカに行った」という話を聞いた直後だったので、その話を振りかざしてしてどうにか説得しました。
そして、父が頑張って母を説得してくれたので「ミャンマー」に決まりました。
これまでの経緯を聞かせてもらっただけですが、意志が強くてすぐに行動できる人なんだなとわかりました。
26年というまだまだ短い私の人生なんですが、その経験から伝えたいことがたくさんあるので、語っちゃってもいいですか?笑
「知る」ことから自らの世界を拡げてきた細川さん。
そんな細川さんが伝えたいことを、次回記事で存分に語ってもらいます!
🍊応援やコメントなど、ご連絡頂ければ喜びます♪🍊
コンタクトフォーム、またはヒメセカのSNSからお願いします。
facebook
https://www.facebook.com/himseka
Twitter
https://twitter.com/himeseka
Instagram
https://www.instagram.com/himeseka