宇和島市出身。ドイツ・アイリスト、石城戸知佳さん(29歳)①



手に職があればどこにいても活躍できる


石城戸知佳さん(29歳)※取材時の年齢

  • 愛媛県宇和島市旧宇和海村出身
  • 宇和島東高等学校を卒業後、都内の美容系専門学校を経て、アイリストの道へ
  • 海外で活躍したいという夢を叶えるため、2016年に単身ドイツへ向かう。決まっていた職場が無くなるというハプニングに見舞われながらも、持ち前のスキルと周囲の支援で独立
  • 2018年5月に現地で出会ったドイツ人男性と結婚し、現在デュッセルドルフ在住
あゆみ
「手に職があればどこでだって働ける」海外に出るとよく聞く言葉です。今回は「海外で活躍したい」「好きな場所で働きたい」そんな方に見て頂きたいです。早速ですが、海外に興味を持ったきっかけはあるんですか?
ちかさん
きっかけは、中学3年生の時の英語の先生ですね。その先生が3か月間アメリカに研修旅行に行ったんですが、帰ってからすごく楽しそうにその時の話をしてくれたんですよ。その時に海外ってそんなにいいんだと興味を持ちました。

それから外国の話を聞くたび、海外に行きたいと思っていましたね。中でも白人と対等に働きたいと思い、ヨーロッパかアメリカに興味を持ちました。

あゆみ
それから宇和島東高校に入学されたんですよね。どんな学生時代でしたか?
ちかさん
元々、勉強が嫌いだったんです(笑)しかし高校には行った方がいいと周りから説得され、母の母校である宇和島東高校に行きました。

当時頑張ったのはボート部です。実は私双子なんですよ。その姉がボート部に入ることを決めて、なぜか自分も入学式の翌日には入部していましたね(笑)宇和島東のボート部は、日本一になったり日本代表が出たりでかなりがちなんです。練習も朝練から始まり、6時間目が終わって練習して帰ると23時近く。
しかし体を動かすことは元々好きだったので、そこまで辛くはありませんでした。その甲斐あって高校2年生の時にはインターハイに出場しました。

あゆみ
インターハイ!たまたま入った部活でそれはすごいですね。その時は海外っていう夢は持っていたんですか?
ちかさん
海外に出たいとは思っていましたが、どんな仕事をするかは具体的に考えていませんでした。やりたいことがなかったんですよね。一方、双子の姉は助産師になりたいという明確な夢があったんです。比べられることが多かったので、考えるのにちょっと疲れちゃったというのがあります。

それで近くであればいいやと、宇和島にある短大の栄養科に入学しました。ただ、入学1か月で周りと合わず(笑)メイクが濃すぎると指摘されたこともあります。しかしそう言われたことで「自分は美容が好きなのかな?」と美容業界が気になり始めたんですよね。両親は栄養科の卒業を望んでいましたが、その2年がもったいないと説得し、東京にある資生堂美容技術専門学校に入り直しました。

(海外での美容展示会の様子)

海外に出たい!けど、何がしたいか分からないから、天職を見つけるまで

あゆみ
すごい転機ですね!そこで、東京に出られたのはなぜですか?
ちかさん
宇和島の美容学校に行こうと思いましたが、両親が「近場だとだらしない生活になる」と東京に申し込みました(笑)

ヘアメイクを選んだのは海外を意識していました。手に職があればどこにいても活躍できると思ったんです。その学校は、校長先生がパリコレなどに出た経験を持っていたり、また映画の特殊メイクなど海外に出ている卒業生の方も多かったのも選んだ理由ですね。

あゆみ
ほんとに美容師さんや料理人さんなど技術者の方は海外でも活躍されていますよね。卒業後はどうされたんですか?
ちかさん
専門学校で美容師免許を取得したので、都内で4年間美容師として働きました。しかし将来を考える中で、結婚して子供ができたときに自宅で出来る仕事がいいなと思ったんです。そこでまつエク(まつげエクステ)だ!とひらめきました。

いざやってみると天職だと思いましたね。昔から折り紙とかピアノとか、細かい作業が好きだったんです。特に目って印象が変わるので、お客様が綺麗になるのが楽しかったですね。その後、ドイツ行きが決まるまでの1年ちょっと、横浜のまつげエクステのお店で働きながら勉強しました。

あゆみ
なぜドイツ行きを決められたんですか?
ちかさん
坂本龍馬の本を読んだのがきっかけです。坂本龍馬は、27歳で土佐勤王藩を結成し、31歳で大政奉還を行いました。なので私も27歳までに日本を出て、31歳までに自分のお店持とうと思ったんです。

また助産師になった姉から「人生で大変なことはたくさん起きるけど、1番つらいことはすでに乗り越えているんよ。その1番っていうのは産まれたとき。人は狭い産道を通るとき、約1.5トンの圧力が体にかかり、頭蓋骨が歪むほどの苦痛を乗り越えて生まれてくる。人生で頭蓋骨が歪むくらい大変なことある?それ以外ならなんでもチャレンジできるやろ」って言われたんです。それで、よし行こうと思いましたね(笑)

それで海外でのアイリストの求人を探しました。今まつエクの求人は増えていて、どこの国でもありますね。しかしオーストラリアやニュージーランドでは島国で日本と変わりません。大陸が良かったんですよね。ただしアメリカだと、現地で美容師免許を取り直さなきゃいけないし300万円くらいかかる。そんな時にドイツを見つけました。結局Skype面接を経て、26歳で初めてドイツを訪れました。


(デュッセルドルフの様子)

所属3日前に職なしに!仕事が無いままひとまずドイツに。そこから独立へ

あゆみ
初めてのドイツで大変なことはありましたか?
ちかさん
来る前の方がドタバタでしたよ(笑)実はドイツへの渡航1週間前に、急にお給料の変更、それも生活できないくらいの額を言われたんです。航空券と家を決めた後だったので「それは難しい」という旨を伝えるとオーナーから「もう来なくていい」と言われました。所属3日前に仕事が無くなったんですよね。でももう航空券を取ったし、引き返せない。親にも言えません。

さすがに落ち込みましたが、そのままドイツに来ました。むしろ、その時点ではドイツ語も英語も話せなかったので、せめて面接を受けられるくらいの英語力はつけようと1週間猛勉強しましたね。

あゆみ
ドラマみたいですね!!その後どうされたんですか?
ちかさん
当時、技術者と出資者とオーナーが2人いたんです。いつの間にか「来なくていい」と言われたオーナーが辞めていて。もう1人の出資者であるオーナーから「どうしても来て欲しい」という連絡が来ました。初めはお断りをしたり、現地のお店で就職活動した方が良いのかなと、めちゃくちゃ悩みましたが、日系ということがポイントになり当初のお店で働くことを決めました。これが来て3週間の話です(笑)
あゆみ
えー!濃い3週間でしたね!その後は順調にいったんでしょうか?
ちかさん
結局2年くらい働いた後に独立しましたが、やっぱり辞める時にも色々はありましたよ(笑)しかしお客様や今の旦那さん、その家族が助けてくれたので、そんな方と出会えたのは良かったです。


(デュッセルドルフの様子)

海外に出たいけどやりたいことが分からない。そんなちかさんが変わったのはとりあえず入った短大での、ある出来事がきっかけでした。
そこから天職だと思えるアイリストになり、いざ海外へと意気込んで行った先の挫折。しかし旦那さんを始め周囲の人達の応援で今やドイツでお店を構えるまでになります。
次回、国際結婚や気になるドイツ事情についてもたっぷり語って頂きました!

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