手に職があればどこにいても活躍できる
石城戸知佳さん(29歳)※取材時の年齢
- 愛媛県宇和島市旧宇和海村出身
- 宇和島東高等学校を卒業後、都内の美容系専門学校を経て、アイリストの道へ
- 海外で活躍したいという夢を叶えるため、2016年に単身ドイツへ向かう。決まっていた職場が無くなるというハプニングに見舞われながらも、持ち前のスキルと周囲の支援で独立
- 2018年5月に現地で出会ったドイツ人男性と結婚し、現在デュッセルドルフ在住
それから外国の話を聞くたび、海外に行きたいと思っていましたね。中でも白人と対等に働きたいと思い、ヨーロッパかアメリカに興味を持ちました。
当時頑張ったのはボート部です。実は私双子なんですよ。その姉がボート部に入ることを決めて、なぜか自分も入学式の翌日には入部していましたね(笑)宇和島東のボート部は、日本一になったり日本代表が出たりでかなりがちなんです。練習も朝練から始まり、6時間目が終わって練習して帰ると23時近く。
しかし体を動かすことは元々好きだったので、そこまで辛くはありませんでした。その甲斐あって高校2年生の時にはインターハイに出場しました。
それで近くであればいいやと、宇和島にある短大の栄養科に入学しました。ただ、入学1か月で周りと合わず(笑)メイクが濃すぎると指摘されたこともあります。しかしそう言われたことで「自分は美容が好きなのかな?」と美容業界が気になり始めたんですよね。両親は栄養科の卒業を望んでいましたが、その2年がもったいないと説得し、東京にある資生堂美容技術専門学校に入り直しました。
海外に出たい!けど、何がしたいか分からないから、天職を見つけるまで
ヘアメイクを選んだのは海外を意識していました。手に職があればどこにいても活躍できると思ったんです。その学校は、校長先生がパリコレなどに出た経験を持っていたり、また映画の特殊メイクなど海外に出ている卒業生の方も多かったのも選んだ理由ですね。
いざやってみると天職だと思いましたね。昔から折り紙とかピアノとか、細かい作業が好きだったんです。特に目って印象が変わるので、お客様が綺麗になるのが楽しかったですね。その後、ドイツ行きが決まるまでの1年ちょっと、横浜のまつげエクステのお店で働きながら勉強しました。
また助産師になった姉から「人生で大変なことはたくさん起きるけど、1番つらいことはすでに乗り越えているんよ。その1番っていうのは産まれたとき。人は狭い産道を通るとき、約1.5トンの圧力が体にかかり、頭蓋骨が歪むほどの苦痛を乗り越えて生まれてくる。人生で頭蓋骨が歪むくらい大変なことある?それ以外ならなんでもチャレンジできるやろ」って言われたんです。それで、よし行こうと思いましたね(笑)
それで海外でのアイリストの求人を探しました。今まつエクの求人は増えていて、どこの国でもありますね。しかしオーストラリアやニュージーランドでは島国で日本と変わりません。大陸が良かったんですよね。ただしアメリカだと、現地で美容師免許を取り直さなきゃいけないし300万円くらいかかる。そんな時にドイツを見つけました。結局Skype面接を経て、26歳で初めてドイツを訪れました。
(デュッセルドルフの様子)
所属3日前に職なしに!仕事が無いままひとまずドイツに。そこから独立へ
さすがに落ち込みましたが、そのままドイツに来ました。むしろ、その時点ではドイツ語も英語も話せなかったので、せめて面接を受けられるくらいの英語力はつけようと1週間猛勉強しましたね。
(デュッセルドルフの様子)
海外に出たいけどやりたいことが分からない。そんなちかさんが変わったのはとりあえず入った短大での、ある出来事がきっかけでした。
そこから天職だと思えるアイリストになり、いざ海外へと意気込んで行った先の挫折。しかし旦那さんを始め周囲の人達の応援で今やドイツでお店を構えるまでになります。
次回、国際結婚や気になるドイツ事情についてもたっぷり語って頂きました!
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