松山市出身、現在はカンボジアのお父さん的存在
久米 秀俊(60歳)※取材時の年齢
- カンボジア在住歴4年目
- 国家公務員(国土交通省)
- カンボジア公共事業運輸省にて、運輸政策アドバイザー(JICA専門家)
- facebookはこちら
プノンペン愛媛県人会のみならず、大臣や共に働くカウンターパートからの信頼も厚く、カンボジアのお父さん的存在である久米さん。
松山東高校時代の思い出や、海外で仕事をする上でのやりがいや大変さとは。
お話し頂きました。
自己紹介と生まれについて教えてください。
1957年4月に愛媛県松山市で生まれました。
しかし父親が県警の警察官だったため、毎年転勤の連続で、小学校入学を迎えたのは大洲市でしたが、その後松山市、宇和島市、松山市、上浮穴郡と毎年移動し、卒業は松山市の番町小学校で迎えました。
私自身、誰とでも付き合いができるのは、転校の連続だったからだと思っています。
また毎年転校したものの、当時のおさな友達とも意外と交流を持ち続けています。
松山での生活が長いですが、実家は今治市、母親の実家は丹原町だったので、愛媛県全体に愛着を持っていますね。
現在は、日本の国土交通省からの派遣により、カンボジア国公共事業運輸省で運輸政策アドバイザー(JICA専門家)を委嘱されています。
一般的には約2年~3年の任期ですが、私は来年の3月で就任から丸4年を迎えます。
去年の10月に公共事業運輸省の組織改善により4つの総局が増設されました。
カンボジアの輸出・輸入コストの高さ、輸送時間の長さといった課題解決のために物流総局が新たに作られ、シハヌークビル港などの海の港とメコン川の内陸水運を有効活用するため、港湾航路海事総局も新しく設立されました。
新しくできた組織であり立上げの時期は大事なため、過去の経緯を理解している人としてカンボジア政府から依頼を受け、今に至ります。
他国も日本と同様に専門家を派遣しているのですか?
長期での政策アドバイザーというポジションは日本だけです。
それは日本がいかに技術協力や人材育成に力を入れているかを示していると思います。
韓国の場合はKOICA(コイカ:日本で言うJICA)を創設し様々なことを始めていますが、日本のような長期政策アドバイザーは設置していません。
中国の場合は、JICAやコイカのような組織は無く、あくまでもプロジェクトベースです。プロジェクトが完了したら自国に帰ってしまいます。
JICAの場合、政策アドバイザーは公共事業運輸省、経済財政省・関税総局に設置されています。
現在は農業分野も大事になっており、農業振興のための灌漑施設アドバイザーも委嘱されています。
他にもカンボジアの道路や橋梁の維持管理プロジェクト、農業振興のための灌漑施設整備プロジェクト、また自動車の車検や登録行政の改善プロジェクトなどの分野でもアドバイザーが日本の政府機関から派遣されています。
久米さん自身のご希望による就任だったのでしょうか?
私は元々、国土交通省の港湾局に所属しており、日本の港湾行政、海岸事業を担当していました。
私の実家のある今治市では今治タオルや今治造船などの製造業が盛んですが、地元商品の輸出に向けた今治港の整備にもかかわりました。
港は海外の繋がりが大きいため、海外のポジションが多くあります。
そのポジションの一つとして、1993年~1995年までフィリピンの日本大使館に駐在し、経済協力の仕事を担当しました。
その後日本の国土交通省の公益法人国際臨海開発研究センター(OCDI)でJICAの仕事を受け、海外協力の調査を担いました。インドネシアで2年間調査を実施したこともあります。
今回カンボジアは3度目となりますね。現在は、JICAの専門家として直接カウンターパートと共に、運輸・物流分野の課題解決の取り組みを行っています。
フィリピンやジャカルタに滞在していたとき、海外の仕事はやりがいがあると感じました。
仕事や生活、人付き合いの面でも幅が広がり、何より活気がある点が魅力です。
カンボジアは今、日本の昭和30~40年代に歩んできた高度経済の時代を迎えており、まさに日本での経験を活かせる場所だと感じました。やりがいのある仕事ができると思い希望していましたが、その希望が叶い、カンボジアで働けています。
インタビューの続きはこちら
質問や相談はヒメセカの交流掲示板へ!
気軽に愛媛県人と交流ができるスペースをご用意しています。
”もっとこの話が聞いてみたい”という時にもぜひご活用ください。
コメントを残す