三間町在住。ギフト&セレクト酒屋「KOUJIYA」 オーナー、高山雄大さん(36歳)



 

高山雄大さん(36歳)※取材時の年齢

  • 仕事 :ギフト&セレクト酒屋「KOUJIYA」 オーナー
  • 出身地:愛媛県宇和島市三間町
  • 居住地:愛媛県宇和島市三間町

どんな仕事をしているんですか?

たかやまさん

妻と一緒に、三間町のセレクト酒屋「KOUJIYA(こうじや)」 を経営しています。

KOUJIYAは代々続く築120年の建物の酒屋で、2018年に改装し今のセレクトショップになりました。

商品のこだわりは「パッケージが良くて、味が美味しい」。今では、世界中から美味しいお酒とそれに合うお菓子・おつまみを仕入れており、お酒を核に『そこから派生するライフスタイル』自体を提案しています。

また、ギフト需要が多いため、貰って「素敵だ」と思って貰えるようなラッピングを施しているのも特徴ですね。例えばオリジナルの包装紙は、三間町で有名なコスモスが咲く風景を妻がデザインしました。

業務については、アパレルデザイナーだった妻がデザイン周りを、僕がSNSやシステム周りを担当するなど、上手く役割分担ができています。コツコツと続けていたSNSが実を結びはじめ、今では地元の人だけでなく日本全国のお客様からご注文を頂くようになりました。

1日のスケジュールを教えてください。

なぜ今の仕事を選ばれたんですか?

たかやまさん

当時は、明確な決意はなく…むしろタイミングがあったからですね(笑)。

実はそれまで、10年以上東京でミュージシャンをしていたんです。しかし30歳を目前に、音楽で食べていけないことで、プロとしての限界を感じていました。

ちょうどその頃に、先代の父から言われたのが「愛媛で一緒に仕事をせんか?」という一言。当時、アルバイトをしていた飲食店の会長からも、「幹部にならないか?」と誘われましたが、上京したからこそ「やっぱり愛媛が合っている、ゆくゆくは帰りたい」と思っていたんです。

妻の出産とも重なり、自然に囲まれて子育てをしたいと、愛媛で家業を継ぐことを決断しました。都会出身のため、当初愛媛行きを渋っていた妻も、今ではのびのびと子育てに仕事に楽しんでくれていますよ。

将来は、愛媛に「この人あり」と言われるようになりたいですね。受け入れてくれた地元に恩返しをするためにも、三間でそして愛媛でも光った存在になることで、地域を盛り上げたいです。

仕事の面白さはなんですか?

たかやまさん

酒屋を核に置きながらも、酒屋という固定概念はとっぱらう。それが可能な『今の時代』に商売ができるのが面白いですね。

酒屋は、ディスカウントストアやドラッグストアには安さで勝てません。そんな中でどうやって経営するのか。ほとんどの酒屋が疲弊をするなか、しかし僕たちは、この状況をチャンスだと思っています。

なぜならば、酒屋ではないキャリアを歩んできた自分たちだからこそ、新しいことに挑戦できると思うからです。例えば、三間町の特産品であるお米をギフト用にリブランディングした『MIMARICE』。これも展示会の費用は、クラウドファンディングで資金調達をしました。

また、ミュージシャンだったときの経験がSNSの見せ方に生きたり、妻のアパレルデザイナーだった経験がオリジナルのショップバッグの制作に繋がったり。商売は時代と掛け合わせなければいけません。今までやってきたことが酒屋に繋がるのが嬉しいですね。

これまでの人生について教えてください。

三間町での小・中時代

音楽を始めたきっかけは、中学2年生のとき。小・中学校のときに生徒会長だったので、人前に出るのが好きだと思われていましたが実際はそうじゃなくて(笑)。恥ずかしがり屋な自分を変えたくて、音楽を始めました。

担当はボーカル。いざ歌ってみると、話すよりも気持ちを込めることができ、感情を音に乗せて届けられるのが楽しかったですね。文化祭ではオリジナルの楽曲を披露したのですが、褒められたのを覚えています。

音楽コンテストで優勝した高校時代

高校でも音楽を続けました。メンバーの家の農業倉庫に機材を持ち込んで練習し、三間町の音楽祭などに出演していましたね。大きな転機は、高校2年生のとき。「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」という10代の音楽コンテストで、愛媛県で優勝したんです。

愛媛県代表として全国大会に出たこと、高校卒業前にホリプロのオーデションに合格したことが相まって、このころから本格的に音楽の道を目指しました。(ちなみに、ホリプロでは松山ケンイチさんの同期です(笑))

東京でのミュージシャン時代

高校卒業後は上京して歌の専門学校に進学しました。しかし、「ここで学んでも意味ないな」と10代ながらのとがり方をし、半年間で辞めてしまったんです(笑)。

その後は音楽活動をしながら、モデル・芸能活動をしていました。人前にでるとスイッチが入って楽しかった音楽活動の一方、アドリブを求められる演技については、オーデションに受からず辛かったですね。

同時に、銀座の飲食店(カフェ)でアルバイトもしていました。

30歳目前、愛媛にもどる決断

30歳を目前に、音楽で食べていけないことで、プロのミュージシャンとしての限界を感じていました。ちょうどその頃に、父から言われたのが「愛媛で一緒に仕事をせんか?」という一言。

当時、飲食店の会長からも「幹部にならないか」と誘われていたので悩みましたが、上京したからこそ「やっぱり愛媛が合っている、ゆくゆくは帰りたい」と思っていたんです。

妻の出産も重なり、子育てのことも考え、愛媛に帰ることを決断しました。

たかやまさんを表す、価値観を教えてください。

たかやまさん

『JUST START DOING』

「まず、とにかくやってみる」という意味。これは僕自身の、そしてKOUJIYAの経営理念でもあります。

世の中がフラットになり、小学生でも会社を興せるし、お金が必要ならクラウドファンディングをすればいい時代になりました。同じ情報を手に入れられる今、アイデアを出すことは誰にでもできますが、実際に行動に移せている人は多くありません。だからこそ、動ける人が強いと思います。

そのため、僕自身も面白いことがあったらすぐにやるようにしていますね。そして、どんな成功者も失敗を重ねています。99回失敗しても100回目で成功すればいい。そう思って続けることを大切にしています。

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