小嶺恵美さん(31歳)※取材時の年齢
- プロスポーツ選手(ウィンドサーフィン)
- 千葉県千葉市出身
- 愛媛県東温市在住
1日のスケジュールを教えてください。
なぜ今の仕事を選ばれたんですか?
ウィンドサーフィンを始めたのは、大学1年生のときに、先輩に勧誘されたのがきっかけです。
「勧誘してきた先輩たちが楽しそうだったこと」「大学から初めても全国優勝できる可能性があること」この面白さに惹かれて、友達と軽い気持ちで行きました。
ただ、友達は初日で波に乗れたのに私は全然乗れなくて(笑)。しかしそこで嫌にならなかったのは、先輩たちの雰囲気が本当に楽しそうだったからです。
そのため、基本的には週1回の練習だったのが、楽しくてついつい週5で通っていました。
今思えば、そのスタートダッシュが良かったからか、大学からウィンドサーフィンを始めた人たちのなかで、圧倒的な練習量を積んでいたと思います。
すると大会でも結果を残せるようになり、就職活動のときに岐阜県から国体選手としてのお話を頂き、プロになりました。
仕事の魅力はなんですか?
毎日、乗る海が変わることです。
実は、子供の頃から飽きっぽい性格だったんです。幼い頃はスイミングをしてみたり、一輪車に乗ってみたり。中学でもバトミントン部に入ろうと思ったのを断念して、剣道部に入りました。
「同じ環境に身を置くこと」「みんなと同じことをすること」が苦手だったみたいです(笑)。
しかし、ウィンドサーフィンの場合、競技人口がそもそも少ないですし、自然を相手にするため同じ波がくることは二度とありません。その日・その場所によって毎回、乗る波が違うのが魅力ですね。
これまでの人生について教えてください。
幼少期
信じて貰えないかもしれませんが、小さい頃は海が怖くて、家族で海に行っても砂浜のはしっこで泣いているような子供でした(笑)小学生の頃に習ったスイミングで克服しましたが、スイミングも練習後にお菓子を貰えるから行っていたくらいです。ウィンドサーフィンに出会う前は、海が好き、泳ぐことが好き、という訳ではありませんでした。
高校
高校ではテニス部に入りましたが、持ち前の飽きっぽさに加えて、日焼けと炎天下での球拾いが嫌でまた途中から行かなくなりました(笑)。やりたいことがあるわけじゃなかったので、部活をやめた後に頑張ったのはアルバイトです。コンビニとファミレスをかけ持ちしていましたが、頑張った分だけ結果が出ること(お客様に顔を覚えて頂けたり、お給料に反映されたり)が楽しかったです。
大学
大学1年でウィンドサーフィンと出逢ってからは、朝練をして、学校に行って、また練習をするという生活を送っていました。毎日変わる海と大好きな仲間に囲まれていたので、とにかく勝っても負けても楽しかったです。就職活動の時期に、岐阜県の国体選手としてのお話をいただき、自分の可能性を試してみたいと思い、岐阜県に移住しました。
プロ
岐阜国体終了後は、2年間の神奈川生活を経て、愛媛県に移住しました。2017年の愛媛国体に向けて、愛媛県の代表選手としての打診を受けたからです。結果として、愛媛国体では優勝。現在は愛媛県代表選手として、2020年東京オリンピックでのメダル獲得目指しています。東京オリンピックの決勝は、わたし自身がウィンドサーフィンに出会った場所、湘南・江の島です。そんな思い出深い場所で、金メダルを目指したいですね。
小嶺さんを表す、価値観を教えてください。
「楽しむ」
どんな状況でも「楽しむことで結果がついてくる」と考えています。
私自身、飽き性で、これまでひとつのことをやり遂げた経験はありませんでした。ウィンドサーフィンを始めたのも大学生のときで、運動神経も特別にいいわけではありません。それでも、ここまでこれたのはウィンドサーフィンを誰よりも楽しんでいたからだと思います。
これからはウィンドサーフィンを通して、沢山の大人に「始めることは何歳からでも遅くない」、子供達に「楽しいことだけを極めていい」ということを伝えていきたいです。
小嶺恵美さんのオフィシャルサイトは『こちら』。
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海を相手にするので、その日することは毎日変わります。
基本的には、海での練習が毎日約2~6時間。その後にジムでのトレーニングを1~2時間ほど行います。その後は、練習方法や演技戦略を考えたり、家に帰ってからも ウィンドサーフィンのことばっかり考えていますね(笑)。
また、練習以外に移動も多いです。現在は2020年の東京オリンピックに向けて、1~2か月に1回、海外の、主にヨーロッパで行われる大会に出場しています。