松山市出身。ミャンマー・老舗旅行代理店代表、中村英司さん(54歳)②



ミャンマー激動の時代の目撃者

ミャンマーで旅行業に携わる中村英司さんのインタビューです。
前回の記事はこちら

いろいろあって在住歴23年

あゆみ
なるほど、趣味も仕事がきっかけだったんですね。

その後、松山から海外に行かれたんですよね。
何がきっかけだったんでしょうか?

中村
ミャンマーに来たきっかけは会社命令ですね。
その前は、同じ会社でインドネシアのバリ島の駐在をしていました。

今から23年前の1995年が、来年からミャンマー観光年をやりますよという年で。

そこで、ミャンマーがビジネスチャンスということで、会社に言われてこちらに来ました。
もう23年になりますね。

あゆみ
なるほど。
だとしても、23年は長いですね(笑)

会社命令で他の国にいくということはあったんですか?

中村
可能性としてはもちろんありました。

ただ、1997~8年のアジア通貨危機*で、全体的にビジネスが停滞したんですよ。
企業進出としての東南アジアの魅力が停滞して、人事異動が冷え込み、なので異動というのがありませんでした。

ただ、せっかく拠点としてオープンしたものを閉めるほどではなかった。
だからと言って、新しい人材を投入することも出来ない。
それで結局、十数年間いましたね。

その時に、アジアが順調であれば、例えばスリランカやブータン、ネパールなど他の国に行く可能性もあったかもしれないですね。

アジア通貨危機とは

1997年7月のタイ通貨バーツの暴落を皮切りに,フィリピン,インドネシア,大韓民国 (韓国) などアジア各国をまたたく間に襲った一連の通貨・経済危機をいう。これらアジアのエマージング・マーケット (新興国市場) は 1980年代から急成長を遂げていたものの,先進国からの直接投資と輸出産業に過度に依存していたため,経済構造は脆弱だった。 1995年以降は円安の一方,これら新興国通貨への過大評価もあって,各国の輸出競争力は大幅に低下し,国外への資本逃避が急速に進んだ。これが通貨や株式市場の暴落につながり,景気は急激に落ち込んだ。
(参照元:コトバンク)

あゆみ
なるほどですね。
経済が盛り上がってきたのはいつ頃ですか?
中村
また、盛り返してきたのは2010年からです。

政治経済の政治の部分がまずクリアになって、アメリカから当時のヒラリー・クリントン国務長官がミャンマーに来ました。
そこから、ミャンマー経済が上向きになってきましたね。

そうなると、ミャンマー経済のことを知っている人間が必要なんですよ。
それでまた、自分が続けています(笑)

あゆみ
ミャンマーの激動をまさに体感されたんですね。
23年間で何が一番変わりましたか?
中村
渋滞です。
会社の車を使うのですが、当時は、信号待ちで車で5台あったら今日は混んでるなという印象でした。
今は全然違うでしょ。

昔は毎日デモがあった・・という時期もありました。

そのころは、夜間外出も禁止。
20時までに家帰らないといけないときがありました。

2007年には、日本人ジャーナリストの方が、デモ中に銃で撃たれて亡くなったこともありましたね。
(※長井健司さん 愛媛県今治市出身)

当時は、ほぼ一年仕事がなかったです。

長井健司さん

愛媛県今治市出身の映像ジャーナリストである。APF通信社所属。
2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され殉職したと報道されている。
(参照元:Wikipedia)



旅行業の視点から見るミャンマー

マンダレーヒル
(岡全体が仏教の聖地の「マンダレーヒル」)

あゆみ
今のミャンマーを見ると、想像できないですね。
今、ミャンマーを訪れる人はどれくらいなんですか?
中村
今は、バガンやマンダレーにいく観光ツアーと、経済視察の半々くらいです。

2007年に比べると人は断然増えましたね。
1番少ないときで来訪者数は年間2万人を割ってたんですよ。

今、年間の日本人渡航者数が9万8000人くらいで、もうすぐ10万人に到達します。
在ヤンゴンの日本人居住者は5000人くらいですね。

ただ、ミャンマーに居を構えているけれども、実際にヤンゴンに住んでいるのは1週間や10日の方も含めててです。
私は、1年のうち、ミャンマー国外に出るのは1週間程度ですね(笑)

ミャンマーのサッカーをJリーグに!

あゆみ
中村さんのミャンマーでの楽しみを教えてください。
中村
旅行産業の中では、ある程度のポジションをとっているので、引き続き他社を1歩リードしたいというのは仕事の楽しさとしてありますね。

あとは、サッカーです。
ミャンマーでは、23年のうち21年くらいサッカーやってるんですよ。

今は、在ヤンゴンの日本人のサッカーチームの総監督で、日本人会に所属してる子供さんにもサッカーを教えています。

Jスターズというチームなんですが、チームとしては、2030年までにミャンマーナショナルリーグというプロリーグに日本人チームとして参戦すること。
そしてその先は2050年までにJリーグ参戦です!

総監督としては、次世代に残せる組織を作るのが目標ですね。

ミャンマー人女性との国際結婚

あゆみ
変わらず仕事でもプライベートでも、思いっきり楽しまれてるのが印象的ですね(笑)

ご結婚もミャンマーの方とされたんですよね。
何かエピソードなどはありますか?

中村
子供が順調に育っているので子育てが楽しいですね。

長女は18歳。
今日本で女子高生をしていて、下は14歳でミャンマーにいます。

奥さんがミャンマー人なので、初めは英語で会話していましたが、彼女が日本語を勉強したので、今家庭では日本語が主流ですね。

ただ、奥さんと子供はミャンマー語で話しています(笑)

あゆみ
なるほどですね。引き続き、ミャンマーですか?
中村
そうですね。
死ぬまでミャンマーだと思います。

愛媛に帰るのは、3年か4年に1回、免許証の更新くらいかな…(笑)

あゆみ
個人的には、もっと愛媛に帰って欲しいなあ…(笑)
ミャンマーと愛媛の結びつきはあるんでしょうか?
中村
今のミャンマー大使が愛媛県出身なんですよ。
ただ、それくらいですかね。

実は、日本とミャンマーというラインでさえ、そんなに太くありません。

長い歴史はあるけれども、これからもっと頻繁な交流と、強い流れが必要だと思っていますね。

あゆみ
ミャンマーの良いところと悪いところを教えてください。
中村
良いところは、人当たりがいいところですかね。

ミャンマー人の気質は、日本人と似ているんですよ。
ただ裏表があって、本音を言わない
そこは、要注意ですね。

悪いところは、停電が多いところです。
通信インフラも含めて、電力が安定してないんですよね。
安定するのは2080年くらいかも…(笑)



どこに居ても自分は自分でしかない

あゆみ
まだまだ発展するミャンマー。
愛媛からするとあまり馴染みがないと思うのですが、旅行業のプロが教えるミャンマーのおすすめスポットを教えてください。
中村
バガン、インレー湖、仏教遺跡ですね。
ただ、個人旅行にはあまり優しくはない国だと思います。

ツーリズムの面でいうと、ミャンマーは、南アジア経済圏ブータン、ネパール、インド、スリランカの特色を持っているんですよ。
何がかというと、今でもビザが必要で、現地費用が高く、国内線の移動が大変。

ただ、見どころは満載で、満足度も高いです。
弊社も、パッケージツアーの日程がフィックスしたものが主力ですね。

バガン遺跡
(中村さんおすすめの「バガン遺跡」)

あゆみ
ありがとうございます。
では、最後にこの記事をみる若者に一言をお願いします。
中村
愛媛の若者の皆さん。
愛媛はとても良いところなので、愛媛県で頑張って下さい!
あゆみ
ええ!
あの、ヒメセカ的に…(笑)
中村
というのは、冗談ですが…(笑)

自分の居場所はここじゃないような気がして、色んなとこに行きました。
でも、どこへ行っても結局同じだったんです。

愛媛でもバリ島でもヤンゴンでも、変わった人は変わった人だし、場所が違うからって何が変わるわけではありません。
だから、無理して県外に出る必要はないと思います。

愛媛県でだって、楽しいことや素晴らしい人はたくさんいるし、人生を楽しむことは出来ると思う。
ただ、行ったら行ったで色々なことが見えてきますし、外に出たからこそこんなことが言えるのかもしれません。

どこでだって、チャレンジはできます。
頑張ってください!

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