荻原寿夫さん(37歳)※取材時の年齢
- 水産業・活魚運搬業
- 愛媛県宇和島市内出身
- 東京・愛媛・大阪在住
どんな仕事をしているんですか?
1日のスケジュールを教えてください。
なぜ今の仕事を選ばれたんですか?
父が創業した会社のため、幼い頃から水産業に慣れ親しんでおり、中学生のときから魚の加工を手伝っていました。しかし当時は、イヨスイに入ることに義務感を感じていたんです。
ですが、アメリカ留学中に改めて地元について調べたときに、宇和島が日本有数の水産の地であることを知り、それに携わっている家業のことを面白いと思いました。
その後、アメリカで食品卸の営業を8年間経験し、「そろそろ家業に貢献できるんじゃないか」というタイミングで宇和島に帰ってきました。
入社後は、北米向けに開発した商品をアメリカ時代のお客様に売ったり、アメリカでの販売量を確立したりと、自分自身のアメリカでの経験が成果に繋がっているのが嬉しいですね。
これまでの人生について教えてください。
小・中・高校時代
小学校から今までサッカーを続けています。そのため、小中高校のときに頑張ったのはサッカー。高校でも体育選抜のクラスでした。
その傍ら、海外のドラマや映画が好きで、中学の頃から「高校卒業後はアメリカにいこう」と思っていたんです。しかし、母や先生からは日本の大学を勧められたので、試験では日本の大学に行けないような低い偏差値をとっていました(笑)高校卒業後は、1か月でアメリカに渡りました。
アメリカでの大学時代
当初は英語が全く話せなかったため、まずは語学学校に入りました。留学では、『自己主張の大事さ』を学びましたね。
2001年のテロ後だったからか、アメリカ人以外への差別がひどく、レストランでも席に案内されなかったり、水が出てこなかったりしたんです。生きるために言いたいことを言う必要があると、英語を必死で勉強しました。
その後、勉強の甲斐あって現地の大学に入学しました。両親は、私が大学に入ると思っていなかったのでとても喜びました。親孝行をしたと思いましたね。
アメリカでの新卒時代
大学卒業後は、アメリカにある食品卸の会社に入社しました。歩合制の営業職だったため、「みんなが休んでいる時こそチャンスだ」と寝る間を惜しんで無我夢中で働きましたね。その甲斐あって、1年目でトップセールスになり、その後すぐに小型支店の責任者になりました。
しかし、これまで一人で結果を出していたので、周りを動かすのが難しかったんです。いろんな人種の人がいたので、仕事第一の人もいれば家族第一の人もいる、それぞれ主張の仕方や思いが違うのが大変でした。
交通事故をきっかけに
その後、マネジメントの大切さが分かったのは、働き過ぎて交通事故に遭ったときです。当時、3か月間動けませんでしたが、スタッフを動かすことで支店の数字がかなり伸びたんです。そのときに個人の力の限界とマネジメントの必要性に気付きましたね。
それから、ロサンゼルス支店のマネージャーを打診され、計8年間アメリカで働きました。部下は数百人に、売上は支店の数十倍になり、「ようやく自分の力がついたな」と思い宇和島に戻りました。
寿夫さんを表す、価値観を教えてください。
『やればできる。必ずできる、できないのは自分に自信がないからだ。』
小学校の校長先生が、朝礼でよく言っていた言葉です。
自分の場合は、アメリカで「グローバルな考え方」と「英語」を身に着けたのが自信です。裸一貫でいったのが、アメリカで鎧と武器を手に入れて帰ってきた感じですね(笑)
今後は、魚やお酒も含めて、海外への和食文化の普及をしたいです。今、それができる立場にいるので、夢というか、それをしなければならない責任を感じていますね。
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父が経営する水産会社で、愛媛・東京・海外を周りながら、主に国内外の営業戦略をたてる仕事をしています。
今年で入社5年目。5年前までは、自分たちで養殖した魚を市場に売るのがほとんどでしたが、現在は強みである『活魚運搬(魚を生きたまま運ぶ方法)』や『海外販路』を活かし、大企業からも物流の依頼が来るようになりました。
また、直属の部下にベトナム人と中国人がおり、海外展開にも力を入れています。最近は北米・中国・香港・ベトナムと、多いときには月に3回海外出張に行きますね。
海外では、まぐろ・はまち・シマアジ・真鯛・タマクエなど、「この魚ならイヨスイ」という声が聞かれはじめ、自分たちのこだわりや想いが世界にも伝えられるようになったのを感じています。